遠鉄グループの成長を最前線で牽引する新規事業開発。そのひとつである介護事業を通じて、遠鉄の挑戦を支える熱い想いに迫った。
今までの事業を継続していくだけでは困難だった(飯尾)
─── 介護事業がプロジェクト(以下PJ)として発足した背景とは?
飯尾:「ご存じの通り、遠鉄グループは地域生活に密着したサービスを中心に、幅広い事業を展開している企業です。しかし少子高齢化やナショナルブランドの地方への進出といった競合激化を背景として、グループ各社が高い成長力を維持していくためには、今までの事業を継続していくだけでは困難な局面が訪れつつあります。そのため、最初にこれまでにない事業を立案し、実行していこうということになりました。だから実は介護事業ありきではなく、新しい事業の創出そのものを目的とする事業開発課という専任部署が初めて設立されたんです」
犬塚:「当初は、事例研究とアイデア出し、その検証の毎日でしたね。これまでにない事業への挑戦がテーマですから、社会や経済の動向に常に目を配ってこれはというテーマを見つけては、市場環境はどうか、顧客ニーズはあるかといったマーケティング調査を行い、検証していました」
飯尾:「ただ新規といっても、遠鉄グループには生活に密着した事業に携わるエキスパート社員と20万人のお客様がいらっしゃいますから、このリソースの活用を常に念頭に置く必要がありました。グループ力を活かせて、かつ新しい市場を開拓できる事業です」
犬塚:「私は異動前には保険事業しか携わってなかったので、遠鉄グループの研究から始めたようなものでしたね。でもおかげでグループを横断的に見る貴重な経験ができたと思います」
だからこそかもしれないが、スタッフの士気は高かった(飯尾)
─── 前例のないことに取り組むのは、不安だったのでは?
飯尾:「意外かもしれませんが、遠州鉄道にはそれまで専任で新規事業展開に取り組む部署がありませんでした。だから、セオリーや先行事例といった社内の蓄積がなく、課長である私をはじめ課員は試行錯誤からのスタートでした。しかし、だからこそかもしれませんがスタッフの士気は高かったですね。遠鉄という会社が今までしてこなかった経験を、自分たちの手でつくり上げようというのですから、醍醐味はありました」
犬塚:「最初のころは、マーケティングの教科書を片っ端から読んだり、流行っている施設があると聞けば飛んでいったり、必要と思われることは何でもトライしましたね」
飯尾:「新事業の企画立案には、ここにいる犬塚君をはじめ、若手社員がとても頑張ってくれました。机上で考えていても限界がありますから、足で情報を拾うことがとても重要なんです」
犬塚:「結局、遊休地を利用したホテルとか育児施設とか、数多くのアイデアが出ましたが、最終的に残ったのは3つでした。学童保育事業、食品検査事業、そして介護事業です」
飯尾:「そこでこの3本の企画に対しては、それぞれ担当者を決めてより具体的な事業計画に向けてPJを発足したんです。ここで紹介するラクラス上島だけではなく、後の2つの企画も事業化されて、今も取り組みが続いていますよ」
『覚悟しろよ』と自分に言い聞かせた(犬塚)
─── まったく前例のないPJに、どのようにして取り組んでいったのですか?
犬塚:「まず決まったのが、開業時期でしたね(笑)」
飯尾:「準備機関としてのPJが発足したのが2009年の6月だから、ちょうどオープンの半年前だ」
犬塚:「PJは全くのゼロからの立ち上げだったので、正直辞令を受けたときは『覚悟しろよ』と自分に言い聞かせたほどでした」
飯尾:「新しい事業の立ち上げには、事業計画やコンセプトメイクといった根幹に関わる業務から、設備やスタッフの配置といったソフト・ハード面の設計、営業広報活動、許認可申請といった、かかる時間もパワーもさまざまで多岐にわたるタスクが発生します。私は主に、こういったタスクをスタッフに効率的に割り当て、工程管理を行うなどマネジメント面に注力しました。実動部隊は頼もしい若手がいたもので」
犬塚:「私はもっぱらソフト面と営業面を担当しました。まず、新規開業なので経験者を中心に人材採用を実施。同時に、施設で働く人たちに向けた制度の整備も進めました。先輩社員の方にサポートしていただいたとはいえ、入社3年目の私に、よくそんな重要なことを任せてもらえたなあと今でも思います(笑)」
飯尾:「広報も犬塚君の担当だったよね」
犬塚:「開業前に周知活動はスタートしなければいけないので、まだ建物や設備の現物も見ていないころから、チラシやホームページの制作を進めていました。ただ、サービスのコンセプトメイクがしっかりできていたので、問題はありませんでしたね」
飯尾:「ラクラス上島をどのような施設にするべきか、つまりサービスコンセプトが、このPJの中で一番苦労した部分ですね。介護施設といっても、入所型、ショートステイ型、通所型などさまざまなサービス形態があります。地域のニーズを調査したり他社事例を研究したりする中で、大まかな骨格は決まったのですが、『それで万全なのか』という迷いは、どうしても払拭できませんでした。そんなとき、ふと思ったんです。この施設はスタッフひとりひとりがつくり上げるものだ、だから経営的な発想ではなく現場で働く私たちを結び付ける想いが必要なのじゃないか、と」
─── 施設のネーミングやコンセプトは、自分たちで決めたそうですね。
飯尾:「コンセプトからネーミング、スタッフの応対まで一直線に結ぶブランディングは、コンサルタントや広告会社等に依頼せず自分たちで決める、これは私のこだわりでもありました。ブランディング自体は営業的な理由からの発想でしたが、これを自分たちで決めるということは、スタッフにとってとても大きな意味を持つと確信があったからです。だから、『心ゆたかに楽しく暮らす=ラクラス』というサービスコンセプトは、私たちの想いそのものといえるわけです。ラクラス上島では、新規開業に向けて40人以上のスタッフを新規採用しました。しかし開業日、私は何の不安も感じなかった。それはこのコンセプトを全員で共有し、介護事業とは単なる福祉事業ではなく、『心ゆたかに楽しく暮らしていただく』ことを目的とする究極のサービス業であるという理念のもとで、団結することができていたからなんです」
犬塚:「2009年11月1日には、社員約50人という規模の施設ながら、遠州鉄道の役員に出席していただいて晴れやかな入社式を行うこともできました。1カ月間のスタッフ研修を経ていよいよ12月1日オープン。この日を境にスタッフの気持ちが変わったのを感じましたね。遠鉄グループの一員として、先輩たちが築いてきたブランドに恥じない施設をつくるんだという気概でしょうか」
飯尾:「会社もこの事業にはそれほど期待してくれていたということで、それが全スタッフに伝わった思い出に残る出来事ですね。でも一番感動したのは入社式の後、最初のお客様をお迎えしたときです」
犬塚:「ああ、ホントに始まったんだなあと、嬉しさと喜びとホッとした気持ちが同時に押し寄せてきましたね」
社員のトライを促す好循環を、この会社は持っている(飯尾)
─── このプロジェクトを通じて、お二人が得たものは何ですか?
犬塚:「ラクラス上島の開業と同時にPJは解散となり、現在私が所属する介護事業推進室が発足しました。PJに限っていえば、『かつてない挑戦をやり切った』達成感がまず大きいですね。ひとつの施設のオープンにあたり、総務・経理・人事・労務・経営企画・営業・宣伝といった役割をすべて経験したといっても過言ではありません。この経験と、サポートしていただいた周囲の方の支えや連携の大切さは、今後もずっと財産になると思います。とはいえ、CS(顧客満足)とES(従業員満足)を高めるためにご利用者様と現場スタッフのパイプ役として、まだまだ挑戦すべきことはたくさんある、というのが実感ですね」
飯尾:「犬塚君も触れているように、このPJを通じてご協力いただいた社内外の方々とのリレーションシップは、得がたい宝ですね。運営まで手掛けたことで、介護士や看護師といった、これまで縁のなかった専門職の方々と出会えたことも、このPJに参加していなかったらできなかった経験です。2011年には、ラクラス第2号施設のオープンを予定していますが、こちらはショートステイではなく、ホームの機能を持たせています。介護事業の中でも、また新しい挑戦が始まるわけです。こういった新規事業へのトライを会社が社員に許容し、社員は高いモチベーションで応える、そういう好循環を遠鉄という会社が持っていることに気づいたのも、このPJで得たモノだといえるかもしれませんね」
介護事業推進室
室長
入社年/1989年
(※現在は遠州鉄道 取締役)
新設された事業開発課の初代課長を拝命。将来的に遠鉄グループの成長を支え、収益にインパクトを与える新規事業を立ち上げるため、特定の新規ビジネスに絞り込むのではなく、さまざまな業種・業態を調査研究していた。
介護事業推進室
入社年/2006年
(※現在は介護事業推進課)
入社当初は保険事業に携わり、約1年半保険の営業に従事。その後、人事異動で事業開発課に。事業開発課自体が新設されたばかりだったため、どのような業務内容なのか期待と不安が半々だったという。