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「サービスエリア内商業施設新規出店」プロジェクト
2012年春。久々の大規模な道路事業とあって、新東名開通のニュースは日本全国で報じられた。幅広くカーブのゆるやかな走りやすい道路設計、夜間の安全性を高める照明設備など新世代の技術が話題に上ったが、何よりも注目を集めたのがサービスエリア・パーキングエリア(SA・PA)の充実だ。中でも駿河湾沼津、静岡、そして浜松の3つのSAは、休憩施設を超えた複合商業施設として、それぞれ特色を打ち出し、休日はほぼ終日満車というにぎわいを見せた。そのひとつである浜松SAで「遠鉄マルシェ」を立ち上げたのが、宿澤たちが率いた『商業施設新規出店』プロジェクトチームである。

Leader's Interview

プロジェクトリーダーが、現在の進捗や将来の目標、
プロジェクトにかける想いを語ります。

NEOPASA浜松
遠鉄マルシェ店 店長 鈴木 敏

当初は事業開発課の任務に従って、
農業とのコラボなどを検討していました(宿澤)

─── まず、プロジェクト発足時の様子を教えてください。

宿澤:「まず、私が『事業開発課』という部署で新規事業開発に取り組んでいた2009年に時間を戻さないといけませんね。私はもともと遠鉄百貨店の社員で、ずっと売り場や宣伝といった百貨店の仕事をしていました。入社12年目だったと思いますが、遠州鉄道に出向を命じられまして。そのとき在籍したのが『事業開発課』という部署だったんです。秋山君はそのころは何してたの?」

秋山:「僕は保険営業部で、一般のお客様に向けて保険営業をしていました。正直言って、事業開発課についてはほとんど知りませんでしたね」

宿澤:「事業開発課というのは、遠鉄グループの事業やネットワークを活用してこれまでにない事業分野や顧客の開拓を目指す部署で、私は第二期のメンバーに当たります。ちなみに第一期のメンバーというのは、介護施設の『ラクラス』や食品検査事業を立ち上げた方々ですね。要は先輩方が企画した事業が軌道に乗って、そちらの専任になったために、事業開発課から人がいなくなってしまったわけです」

─── 次世代事業の研究メンバーとして招集されたわけですね。

宿澤:「私が事業開発課に来たのは、まだ新東名が第二東名と呼ばれていて、開通時期のめども立っていないころです。SAへの出店計画なんて、聞いたこともありませんでしたね。もしかしたらNEXCO中日本さんや当社の経営上層部の間では何か話があったかもしれませんが、一介の社員には知る由もなく……。ですから当時は、事業開発課の任務に従って、いろいろな事業の調査や研究をする毎日でした。遠鉄グループにない新しい形態の店舗や農業とのコラボなど、実現性のありそうなプランを常に複数検討していましたね」

遠州鉄道にとって、SAへの出店は
一事業の利益を超えた責任(秋山)

─── 今回のプロジェクトが具体的に動き出したのはいつのことですか?

宿澤:「正確な時期は申し上げられませんが、NEXCO中日本さんのグループ企業で、SA・PAを管理運営する会社がありまして、そちらから打診されたのが最初でした。『第二東名に開設予定のSAでテナントを募集するが、出店する意志はあるか』といった内容です。これは遠鉄だけに対するオファーではなく、商業施設の運営能力を持った他の企業さんにも同様の話があったはずです」

宿澤:「当初は、私と上司の2名でした。それが3名になり、しばらくはその体制でリサーチを続けました。ただし、SAへの出店は社内であっても計画を明らかにできなかったのはちょっと困りましたね。遠鉄グループでは、よく社内アンケートなどでターゲット層に対する意識調査を行ったりするのですが、そういったことが一切できなかったので」

秋山:「課の名前も変わった、と聞きましたね」

宿澤:「そう。便宜的にでしょうが、一時的に「特命課」と変わったんです。このように社内にも話ができないほどでしたから、当然社外にも秘密のプロジェクト。参考になりそうなSA・PAに直接出向いてリサーチするのが主でしたね。北は東北、南は九州まで全国の高速道路を走りましたよ」

─── そうやって事業計画を練り込んでいったのですね。

宿澤:「でも、正直言って満足できるような結果は得られませんでした。新しいSAの予定地は、既存の高速道路(東名)が競合路線としてそばを走っていて、かつ山間部という決して恵まれているとはいえない立地です。こんな事例は、全国どこにもありませんでした。さらに高速道路の開通時期も不透明な状態が続きました。正式に当社の出店が決まってからはNEXCO中日本さんと緊密に連絡を取り合っていましたが、それでも開通時期を知ったのは皆さんと同じタイミングでした」

─── ゴールが見えない中で、モチベーションを保つのは大変ではありませんでしたか?

宿澤:「それが、不思議と焦りや不安は感じませんでしたね。採算性も不確かだったし、政権交代の波の中で新東名自体が“事業仕分け”されてしまう可能性もゼロではなかった。でも私たちがモチベーションを切らさずに頑張れたのは、『遠鉄がやらなくて、どこがやる』という強い気持ちがあったからじゃないでしょうか」

秋山:「SAというのは、地域の内外が触れ合う場所です。そこからアンテナショップ的に、遠州地方の魅力を発信していく。これは地域との共生を社是に掲げる遠州鉄道にとって、一事業の利益を超えた責任、果たさなければいけない恩返しじゃないか、と思うんです。このコンセプトが軸にあったことが、途切れない推進力になっていたといえるかもしれません。あ、もちろん利益は大事ですけどね(笑)」

スタッフ全員の気持ちが固まったことで
遠鉄マルシェは完成した(宿澤)

─── さて、オープンに向けてカウントダウンが始まってからは、状況は一変したのではないでしょうか?

宿澤:「その点では、準備期間が長かったことが幸いしてそれほど焦らずに済みました。通常のPJなら締切から逆算してスケジュールを決めますが、今回はいつGOサインが出てもいいように、できることから進めていたからです。店舗の設計や工事準備、取扱商品の選定といった準備はほとんどできていたといえます」

秋山:「僕がこのプロジェクトに参加したのは2011年の初めで、まだオープン時期が決まっていなかったころです。それでも仕入担当として実務から入りましたから、このころから水面下で準備を進めていたということになりますね」

─── 仕入業務は順調でしたか?

秋山:「最初はがく然としましたね。地元出身なのに、いざ『地域の誇れる名産品を置こう』と思っても、何が名産品なのかわからない。普段の生活では、地元ならではの良さに気付きにくいものなんですね。新店舗では、SAのお店にありがちなお土産品だけでなく、地元の工芸品やスイーツにも力を入れたいと考えていました。ですから、オンもオフも関係なく地元の業者さんを訪ねたり地域の物産フェアを回ったり。とにかく情報を集めることから始めました。仕事を離れていても、家でTVを見ていても、常にセンサーが働いているような日々でしたね」

─── 秋山さんは保険営業出身でしたよね? 売る側から買う側への転身です。

秋山:「“買うこと”の難しさに、当初は戸惑いましたね(笑)。それまでは商品の良さをお客様に認めてもらい、買っていただく商売。お客様第一の大義名分のもとに、受け身で交渉を進めるクセが身に付いていたように思います。でも仕入れでは、指し値の交渉や納期など、こちらがリードしなければいけない局面が多々あります。しかも相手にはこの道何十年のベテランもたくさんいらっしゃいますから。こればかりは場数をこなして、経験を積むことで交渉術を磨くしかありませんでした」

宿澤:「あとオープン準備で思い出深いのは、スタッフの育成ですね。厳密には、建物は工事業者さんが作りますし、売り場の商品も私たちの作品ではありません。でも、接客業は人が作るサービス。だから遠鉄マルシェらしさを打ち出していくためには、スタッフ教育こそ正念場だと考えていました。2011年の11月には取り扱い予定の商品は1,500点を数え、店舗の体裁も整いつつありました。そこで、いよいよ売り場スタッフの募集広告を出したんです」

秋山:「ただし、最初はちょっと困ったこともありましたね。応募者の方は、当然『いつから働けるのか』を気にされます。でも、こちらは『初夏くらいになりそうです』としか言えない。我々にはどうにもならない事情があったとはいえ、これは申し訳なかったですね」

宿澤:「それでも、募集に応じてくださった方々のほとんどは地元出身で、新東名の工事を10数年にわたって見守ってきた方も多い。だから、私たちが店舗のコンセプトや目標を説明する前から、新東名や浜松SAに親しみや思い入れを持ってくれていたのは幸いでした。スタッフ教育には遠鉄ストアをはじめ、グループ各社の接客ノウハウも活用できましたが、大切なのは「遠鉄マルシェの接客」をどう作り上げるかということです。上下線合わせて約50名のスタッフ全員が大好きな地元のために頑張ろうという気持ちで固まったことで、遠鉄マルシェは完成したといえるかもしれませんね」

これからも取り組むべき課題はたくさん(秋山)
旅の目的地になる『遠鉄マルシェ』に(宿澤)

─── いよいよ開通の日。どんな想いで迎えたのでしょうか?

宿澤:「それが……。不思議なことに、当日のことはよく覚えていないんですよ。忙しい一日だったことは間違いないのですが、それほど緊張していたのでしょうね」

秋山:「僕も同じで、初めて高速道路をクルマが走ってきたシーンは覚えているんですが、初めてのお客様が思い出せなくて。いよいよ始まるなあ、という記憶から、お客様をご案内したり商品の陳列を正したり、必死で売り場の対応をしていたところに記憶が飛ぶんです」

─── 店舗の経営状況はいかがですか?

宿澤:「今、ちょうど開通から半年が経ちますが(※)、集客という点では当初予測を大きく上回り、計画比170%の売上を記録しました」
※インタビューは2012年10月に実施。

秋山:「高速道路という特殊な環境で受け入れられるか不安だった工芸品や農産物も、好評をいただいている手応えがあります。クラウンメロンの果肉入りのパンをはじめ、遠方からそれ目当てにお客様に訪れていただけるような名物も育ってきました」

宿澤:「でも、計画比170%という数字に対しては、私たちは気を引き締めなければいけないと感じています。何より開通特需という側面がありますし、この状況がいつまで持続するのか、落ち着いたらどれくらいの集客が維持できるのか。未知の部分は少なくないですから」

─── 最後に、このプロジェクトは成功したと感じていらっしゃるでしょうか?

宿澤:「オープンさせることが目的なら、そう言えるかもしれません。でも、遠鉄マルシェという店舗はまだ始まったばかりなんです。おそらく、前述の『果肉入りのメロンパン』にしても、お客様の認識は『浜松SAで買える限定スイーツ』であって、『遠鉄マルシェのメロンパン』ではないでしょう」

秋山:「店舗の作りにしても、市中の店舗と異なってリピーターのお客様より新規のお客様が圧倒的に多いですから、商品の魅力を簡潔に伝えられるようPOPを工夫したり、スタッフ一人一人の商品知識をもっと高めたり、これからも取り組むべき課題はたくさんあります」

宿澤:「近年のSA・PAは、休憩所や移動の通過点という従来の位置付けに加えて、旅の目的地としての機能を高めてきました。その流れの中で『浜松SA』ではなく『遠鉄マルシェ』を目的地としていただけるような、魅力的な店舗を作りたい。それが実現したときに、初めてこのプロジェクトは成功だったと思えるのではないでしょうか」

宿澤和広
NEOPASA浜松 遠鉄マルシェ店 副店長入社年/1997年

(※現在は遠鉄百貨店)

遠鉄百貨店に入社。売り場やマーケティング企画の経験を積んだ後、遠州鉄道へ出向。新規事業を研究開発する事業開発課に所属し、商業施設から農業に至るさまざまな事業の可能性を探ってきた。現在は遠鉄マルシェの副店長として、店舗運営のかじ取りを行っている。

秋山直彦
NEOPASA浜松 遠鉄マルシェ店
マネージャー
入社年/2004年

(※現在は保険営業部)

入社後の約5年間、保険営業部で保険の営業を経験。遠鉄グループ各社をはじめ、一般のお客様を幅広く担当した。その後、保険企画課での総務的なポジションを経て事業開発課へ。保険営業で培ったフットワークを活かし、商品の買い付けから売り場のマネジメントまで何でもこなす。

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